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惑星という言葉が好き

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惑う星、と書いて惑星と読む。
小学生の頃、この語源を聞いて、キュンとするくらいクールな表現だと思った。
  
北半球だと、夜の星々(恒星)は北極星を中心に反時計回りに回る。
惑星はそれらとは違い、北極星を中心に反時計回りには回らず、星々、星座の間を彷徨うように行ったり来たり動く。
 
そこから、惑う星、惑星という名前に。
(そもそも、英語planetの語源がギリシャ語の「プラネテス」という言葉で、その意味が、「彷徨う、放浪者」で、古くは「遊星」という言葉が当てられたらしいが、天文学の分野では今は「惑星」に統一されているらしい。) 

天動説(自分を中心に世界が回っている)で考えると、他の星とは違う、不規則に見える予測不能な動きをする星は、見る者を惑わせ、惑う星に見える。

しかし、地動説(一定の法則に基づいて、自らが世界の中を動いている)で考えると、それぞれ太陽を中心に公転している星がそれぞれの位置によって、見える場所が変化しているだけで、安易に理解は出来なくても、彷徨っていたり惑っている訳ではなく、規則的に法則を持って動いている。
(詳しく知りたい方は「ケプラーの法則」などをお調べください・・。)

この事は、「法則」を「考え方や価値観、モラルや規範」と読み替えると、自分と他者との関係性ととても似ていると思う。

自分を中心に世界が回っている(天動説)と思って生きていれば、自らとは違う考え方や価値観(法則)に基づいて生きている他の人は理解不能な惑う星であり、世界の中心であるはずの自らの存在(天動説)を脅かし見るものを惑わせる異質なもの、つまりは、差別や偏見、排除の対象になりうる。

自らも何らかの考え方や価値観(法則)に基づいて生きているの一人の人間(地動説)であると思って生きているのであれば、自分と同じように、でも、自分とは違う考え方や価値観(法則)に基づいて生きている存在があるんだということは理解できる。
 
そして、他の人の考え方や価値観(法則)に対して個人的な好き嫌いがあったとしても、自分の考え方や価値観(法則)を肯定するために、それ以外の存在を否定するような必要はない。 
 
天動説で見れば、惑うように見える存在があったとしても、地動説で見れば、それに惑わされるようなことは無いのだ。

小学生の僕にとっては、単なる言葉、としてでなく、それが含む概念がカッコいいと思った。
(まあ、一言で言えば、哲学的ってことなのだが、その頃はそんな言葉を知らなかった)

子供のクセに、すげー生意気な事を考えてたなぁと思いつつも、結構、鋭いところついてるじゃんと、東京ディズニーシーにある、「チェインバー オブ プラネット」を見て感慨に浸っていた次第です。
 
 
で、誰も居なかったので、思わず頑張ってやってみた、惑星直列(笑)
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