So-net無料ブログ作成
検索選択

映画「フォーリング・マン」から自殺について考える。 [映画/ドラマ]

いきなり重い話題ですみません。

ずっと前に手に入れていたけど、気分的になかなか観れなくてそのままになっていた
映画「フォーリング・マン 9.11その時、彼らは何を見たか?」

名前の通り、2001年9.11アメリカ同時多発テロについてあつかった作品で、テロの翌日、世界中の新聞に掲載されたワールドトレードセンターから飛び降りた人を写した写真にまつわるドキュメンタリー。

テロそのものについて取り上げていなく、そこから飛び降りた人、それにまつわるいろんな角度の当事者の死生観を中心に取り上げているので、個人的にはテロについてというよりももっと普遍的な事について考えてしまう事が多かった。

ちなみに、自分の知り合いの日本人でも意外と知らない人が多いですが、アメリカはキリスト教が倫理観のベースにあるので自殺するということはモラル的にかなりのNGです。

なので腹切はキリスト教ベースの西洋人にとっては野蛮な行為という認識に。

理由はなんであれ、宗教的に禁止されている行為なので、自殺したら地獄行きです。


「助けを求めていても、状況は悪化するばかりで、熱さや息苦しさは既に耐えられないほど、その中で忍耐の限界を超え、そこから解放される事だけを望み」思わず飛び降りてしまう、その行為も自殺になるらしい。

(”自殺的行為”も”自殺”と同じという事でなんでしょうかね)


検死局も「自殺した人はいない。落ちた人は皆爆風で飛ばされた」と語り、ビルに取り残された人が崩壊前に200人近くも飛び降りていたということはあまり取り上げられていない(触れたくはない)ということが、人の語りたがる真実と、起きた出来事としての事実とは同じではないということを象徴しているように思う。


ここからはワールドトレードセンターから飛び降りた人の話ではなく、一般論としてだが、個人的には自殺を積極的に肯定はしないが、否定もできないと思っている。

最近、学生の自殺がニュースになっているが、「助けを求めていても、状況は悪化するばかりで、熱さや息苦しさは既に耐えられないほど、その中で忍耐の限界を超え、そこから解放される事だけを望み」自殺をする姿は逃げ場がない中で逃げ出しそうとしている人と重なる部分がある気がする。

その皮膚を焼かれるような熱さや呼吸すらできない息苦しさは、他の人には感じない熱さや息苦しさであっても、本人にとっては確かに存在するものだと思う。

もちろん、忍耐力の閾値にはここのモラルやプライド、知識や思考が大きく影響していると思うが、苦しんでいる本人にそれを省みる余裕はないじゃないだろうか。

「死ぬ気になれば何でもできる」というのは一理あると思うが、「その場で生きていることそのものが苦しい人間が、死ぬ気になるまで生きていられない」とも思う。


閑話休題。


ドキュメンタリーの中では、フォーリング・マン(ビルから落ちた人)にその当事者(フォーリング・マン)から離れたところでいろんな人が自分なりの解釈をし意味づけをしていく姿がとらえられているのですが、自分なりに一生懸命さ故に、起こった出来事をそのままプレーンには認識することができない、感情がある人間の弱さを突きつけられた気がします。 
 
 
フォーリング・マン [DVD]

フォーリング・マン [DVD]


nice!(0)  コメント(1)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 1

株式の勉強

とても魅力的な記事でした。
また遊びに来ます!!
by 株式の勉強 (2013-05-13 13:52) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。

×

この広告は1年以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。